「今さら」なんてない

「自分にもできそう」を伝播させるブログ

中長期課題チャレンジ:達成しようとせず、着手するだけ意識する

心身ともに健康であるための対策を模索するひとり委員会です。

最近、息子への対応の中で、適切に叱れない問題があるので、その原因や対策について考えてみました。

結局、自分の生い立ちや経験値不足が原因で、今回1回では明確な解決策すら出てきませんでしたが、この手の複雑な課題は、少しずつ前進させて、気がつけば達成していた系でトライしてみようと思います。

目次

仕組み:人間の心理も作用反作用的な反応で均衡を取ろうとする

押せば押し返され、引けば引き返される。

何かを禁止すれば破りたくなるのが人の性で、逆にやれと言われたことはなんかやりたくなくなる等、あまのじゃくな性質があると思っています。

今回はこの仕組みを前提に話を進めてみました。

原因:放任主義と呪いの言葉

そもそも僕は幼少期からほとんど叱られたり褒められたりした記憶がありません。

褒めもせず叱りもせず、ただよそ向けに自分の息子の自慢をしているだけでした。

幼少期は就寝時刻やゲーム禁止などのルール等色々ありましたが、唯一叱られた記憶にあるのは夏祭りで門限を破って野宿する羽目に遭ったことくらいです。

基本的には温室に幽閉し、飼い殺しているだけです。

そりゃそんな生活が長く続くとストレス耐性は身に付かないわ人間関係構築できないわ思考も止まるわな。

また、「我がないよね」という呪いの言葉が無意識にまで浸透して、言いたいことが言えない病を発症。

これだけSNSや仕事でやりたいことをバンバン出しまくっている僕でも、今でも食べたいものや休日にしたいことなどの意見が出せません。

親子仲の悪い人が羨ましい

自分にないものを求めてしまう性質がそうさせるのかもしれませんが、彼らを羨ましいんです。

互いに物凄くエネルギーを使いますが、そのぶつかり合いが反骨精神や主体性、活力や原動力になっているように見えます。

理不尽に怒ったり否定するレベルだとしても、ある程度の抑圧や制約が人を成長させるものだと思っています。(良し悪しは置いておいて)

もちろん度が過ぎると何もできない萎縮した人間が出来上がってしまうのでさじ加減が重要ですが、僕の両親はそこの難しさから逃げてしまっていたんですね。

他人に評価されてこなかったから自分で自分を否定して均衡を取るようになったのではないか?

世の中の多くのネガティブ人間の製造元は

否定され過ぎ工場か

否定されなさ過ぎ工場です。

自分のアウトプットに対して賛否の評価が公正公平であることって結構大事だと思うのですが、昔から両親が否定も言及もないので自分で否定するようになってしまいました。

肯定はここ数年である程度できるようになってきたのですが、難しいのは否定のさじ加減です。

もっと難しいのは人からの賞賛・否定を受け入れることです。

褒めたり認めてやるだけが承認欲求を満たすものではないと思います。

妻の飴と鞭の使い分けには感心するのですが、僕は使い分けがすごく苦手で課題に感じているのですが、結局自分の経験値不足とか二手三手先が読めないことが原因なんですよね。

課題の対策はまだ分かってないが課題の進め方が見えてきた

これまでは、対策を考えて、ある程度の見通しが無いと踏み出せなかったり、踏み出しても続かなかったりしたので、手法を変えてとりあえず思考の過程からアウトプットすることにしてみました。

今回、タイトルだけ下書きに入れておいて、あとは通勤中にブツブツ唱えて文字に起こしてもらって、電車の中で整理する、という最近のルーチンを適用したころ、思いの外思考が吐き出されていることに気がつきました。

吐き出したものが自明な解であろうと、自明な解を明文化するだけでも収穫です。

今回出てきた新たな袋小路

  • 叱り方のさじ加減を身につける方法

  • 二手三手先を読む訓練方法

  • 他人からの賛否を受け入れる訓練方法


など、ブツブツ唱えているうちに、整理しているうちに次の課題が見えてきました。

中盤愚痴っぽくなってしまいましたが、

この手法、何の気なしにやってみたのですが、いいですよ。

マンダラートとかマインドマップにも興味が出てきました。